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全斗煥-来歴

1.来歴

慶尚南道陜川生まれ。朝鮮戦争中に陸軍士官学校に入学(11期)。同期には盧泰愚らがいた。朴正煕クーデターを起こすと、陸軍士官学校の生徒を率いて支持を表明。この功績が認められて最高会議議長秘書官に。その後ベトナム戦争に参加し、帰国後は特殊戦略司令部を経て1979年に保安司令官。

に連携する形でこれを批判した。ただしこれは純粋な歴史認識問題というよりも日本に60億ドルの経済援助を求めていたが日本は呑めないということで膠着していた全斗煥が自らの独裁権力の強化の為に日本からの援助を引き出させる手段として用いたとする説もある。

日米との連携を強め経済の活性化に成功するが、1983年北朝鮮工作員によるミャンマーアウン・サン廟で全斗煥を狙ったラングーン爆弾テロ事件が発生。彼自身は難を逃れたものの、事件で多くの閣僚を失った。さらに1987年には北朝鮮の工作員金賢姫らによる大韓航空機爆破事件が起き、南北関係は緊迫度を増した。

クーデター後に金大中を含む野党側の政治家を逮捕また軟禁し、非常戒厳令を全国に拡大させ、これに反発していた光州での民主化要求デモを鎮圧するため陸軍の特殊部隊を送り、市民が多数虐殺された(光州事件)。金大中は軍法会議で死刑判決を受ける(後に無期懲役に減刑)ものの、1982年アメリカに出国。1987年以降には改憲・反政府運動も活発化し、7月には政権移譲を表明。

退任後には自ら財団を設置し院政を狙うが、利権介入などが発覚し親族が逮捕されるに至って、にも子息の不正貯蓄について検察から出頭を求められている。

全斗煥に対しては独裁者虐殺者、在任中の汚職など否定的なイメージで見られることが多いが、その反面、経済発展オリンピック誘致・スポーツ振興などの功績を評価すべきだという保守派からの擁護論もある。

全斗煥については、韓国のドラマ『第5共和国』において、その集権過程から没落まで詳しく描かれている。

(出典:Wikipedia)

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